今日の断捨離はポストカードの続きです。最終的には文通か、ポストカードを集めている友人にあげるか、処分となりますが、友人各位には先着順であげますので連絡下さい。
これは台湾のお土産で購入したもの
最低限の生活には
洗濯機と君とラヂオ
週末は踊ろうよと
誘ったが、じつは興味ない
ゼイタクを望むなら
冷蔵庫と夢とステレオ
週末は踊ろうねと
誘ったら、君も興味ない
戦国時代の武将で上杉氏の家臣。『絵本甲越軍記』では鬼小島弥太郎として登場する。妙高高原辺りの出身といわれ、越後国の戦国大名・上杉謙信の幼少期から側近として仕えた。強力無双の豪傑で「鬼小島」と恐れられたと言われているが、上杉氏の軍役帳や名簿に記載されておらず、実在したかどうかを疑われている。上杉家中には小島姓を名乗る人物が多く存在するため、そこから創作したとする説もある。(Wikipedia調べ)
とら年 とら月 とらの日に
生まれたまいし まんとらさまは
城山さまのおん為に
赤槍立てての御出陣
男もおよばぬ大力無双
※越後瞽女歌
享禄3年(虎年)1月(虎月)21日(虎日)
鎌倉時代から戦国時代にかけて越後北部に割拠した国人豪族のこと。揚北とは阿賀野川(揚河)北岸地域のことであり、阿賀北衆ともいう。
出自に応じて、小泉庄(現在の村上市一帯)を所領とした秩父党、奥山庄(現在の胎内市一帯)を所領とした三浦党、加地庄(現在の新発田市一帯)を所領とした佐々木党、白河庄(現在の阿賀野市一帯)を所領とした大見党に分類される。阿賀北地域では、鎌倉時代に武蔵の秩父氏、相模の三浦氏、近江の佐々木氏、伊豆の大見氏らの豪族が荘園の地頭として越後に入国し、それぞれの所領を治めていた。時代がたつにつれて、彼らの末裔(まつえい)は地域支配を強化し、各領地の地名を苗字とする国人に成長していき、揚北衆と呼ばれるようになった。具体的に秩父氏は本庄氏(宗家)、色部氏、鮎川氏、三浦氏は中条氏(宗家)、黒川氏、佐々木氏は加地氏(宗家)、新発田氏、竹俣氏、五十公野氏、大見氏は安田氏(宗家)、水原氏、下条氏に分かれた。垂水氏は相模の河村氏が国衙領であった荒川保(現在の関川村一帯)の地頭に任命されて越後に入国し、室町時代に垂水氏を称するようになったとされ、大川氏については詳細は不明だが、土豪出身であると考えられる。(Wikipedia調べ)
上条定憲:上条上杉家当主(上条城主)
上杉顕定:山内上杉家11代当主。関東争乱期の40年以上にわたって関東管領を務めた。
上杉房能:越後上杉家7代当主
上田長尾氏:守護代長尾氏の分家(越後国南部上田庄の越後上田城に本拠を置いた)
長尾為景:謙信の実父
長尾晴景:謙信の実兄
旧種苧原村(たなすはらむら)の庄屋・村長を務めた坂牧家の文書群
近世から近代の村政及び坂牧家の経営資料が約2500点揃っており、山古志村最大の文書群とのこと。山古志村民俗資料館のことにも触れられており、興味あり