雑記

頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。
頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。

雲煙縹渺

雲煙が遠くにたなびくさま

縹渺

広くはてしないさま

「―たる雪の広野を隔てて」〈鏡花・註文帳〉

かすかではっきりとしないさま

「慷慨 (こうがい) 節義の譚に、神仙―の趣を交ゆ」〈露伴・運命〉

博物館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン

https://www.j-muse.or.jp/02program/pdf/jam_covid_guideline_20200525.pdf

令和2年5月25日
公益財団法人 日本博物館協会
小林古径記念美術館 小林新治「没後10年に想う」(p14〜15)『トミオカホワイト美術館 開館十五周年記念 ー富岡惣一郎に寄せてー』(2005年、財団法人 八海山「白の世界」文化村、トミオカホワイト美術館)所収

1994年10月「富岡惣一郎追悼展追悼展ー追い続けた〈白の世界〉へのパッションと詩情の記録ー」展覧会図録より

「画伯は当市南本町の出身で、サンパウロ国際ビエンナーレ展(1963年)で近代美術館賞を受賞後、国内で個展を中心に制作活動を行い、その取材は北海道から中部山岳地帯、富士山、越後平野と信濃川、さらに中国の桂林へと続き、ついには星と宇宙の壮大な夢にまでおよんだところで惜しくも帰らぬ人となりました。今回、特別に展示されている未完の絶筆「星」2点は、画伯の果たしえなかった〈夢〉が永遠のブラックボックスとなって私たちに何かを語りかけているようです。上越市が生んだ稀有の画家・富岡惣一郎画伯の死を悼みつつ、追い続けた〈白の世界〉への情熱に心からの敬意を表し、ここに代表的な作品を一堂に集めた追悼展を開催する運びとなりました。」
前六日町教育長 大嶋圭己「トミオカホワイト美術館創立15周年記念に寄せて」(p11〜13)『トミオカホワイト美術館 開館十五周年記念 ー富岡惣一郎に寄せてー』(2005年、財団法人 八海山「白の世界」文化村、トミオカホワイト美術館)所収

只、画伯がご挨拶にこられる前に、上越のある知己が私の所に来られて「富岡画伯が今度六日町に美術館を建てられるということを知っているか。画伯は上越市出身で、しかも上越市にも妙高山という名山があり、且つ建築費の全額を市で負担しても良いと言っているのに、なぜ六日町なのか。」と疑問を投げかけられたことがありました。そんな話を率直にいたしましたところ、画伯が次のように話されたのが極めて印象的でありました。「私も上越市出身であり、そのことについては非常にありがたいことだと思っておりましたが、私は私の作品を展示する美術館を作るにあたっては、私の作品に最もふさわしい場所に作りたいと思い、これまで全国各地を物色してきました。が、最終的にここ八海山の麓が最もふさわしいと判断した結果なのです。」というお話でした。

渇仰

喉が渇いた者が水を欲しがるように、深く仏を信仰すること。転じて、強く憧れ慕うこと
埴輪 鷹狩男子像 (群馬県出土、古墳時代、大和文華館蔵)

埴輪 鷹狩男子像 (群馬県出土、古墳時代、大和文華館蔵)

重要文化財に指定されている埴輪。鷹匠のように肩に鷹をのせているが、嘴以外は鋭さを微塵も感じさせない緩さにほっこり。それで言えば、杏仁形の人物の目も、どこか癒されるような…
黒地背景で引き締まって見えるポストカード
ハンス・マカルト《メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター》1875年、ウィーン・ミュージアム蔵

ハンス・マカルト《メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター》1875年、ウィーン・ミュージアム蔵

これは横顔というのと、花々が絡み合った服飾に惹かれて、何も分からないのに購入したもの。そう、何も知識がなくても直感で気に入ったものを手に入れるのが私。少しずつ勉強しようと試みるも、こういうのって手掛かりが少なくて調べる気にならない。
なんていうんだろう、例えばメッサリナと言えば、ウァレリア・メッサリナのことで、ローマ皇帝クラウディウスの皇妃のことかなと検討したとする。そしたら、17世紀の劇作家ジャン・ラシーヌが著した『ブリタニキュス』という悲劇に関係することなのかなとか。シャーロット・ヴォルターなる女優は?とか、こうした歴史的な事実認識と背景を擦り合せるのが億劫で、サクッとWikipediaで概要だけかいつまんで、知った気になっていることがたくさんある。最近はそれすらしないので、裏取りを怠るどころの話ではない。
これは画題というか、テーマの問題なので、アレンジは加えられていても、一般的にそう見当違いな方向には進まず、定型化された語り口で紹介することが可能だ。それは端的に言うと、どうしても誰かから提供された情報を元に再構築するのがやっとで、たいていは先んじて書いた人の文章を模倣することに徹してしまうからなのだが、そんな話はどうでもよかった。