雑記

頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。
頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。
学生時代に課題で美術史レポートを書いてたときから感じていたことだが、私は、絵を眺めていても感想を形容詞でしか捉えることができず、画面から良さを感じ取っていたとしても、それを適当な言葉に置き換えて表現することが苦手なのである。何が、どういった表現や技法が、そして構図が良いのか具体的に詳述することができず、レポートの提出期限までに書き上げることが苦しく感じてしまい、何度か匙を放り投げた結果、留年をしかけるというロクな学生生活を送ってこなかった。このような傾向は、働いてから致命的な欠点となって目も当てられないが、それでも書き上げなければ業務が滞ってしまう。客観的な視点を忘れてはいけないが、どうしても主観や感性頼みになることは避けられず、どうにかして捻り出さなくてはいけないと追い詰められたとき、大学時代の同期たちの、感想を言い合いたくて仕方がないといった熱のこもった語りを思い出しては、自分もこのような人間であったらと考えずにはいられないのであった。要するに私は、支離滅裂な文章しか書けないし、しどろもどろにしか話せないという欠点を補うべく勉学に励むしかないわけだが、学生時代に遊び呆けていたツケは大きく、学ぶために手に取った書籍に印字された文章たちは、どれも自分には眩しいくらいに洗練されていて疲れてしまう。

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