親父からは、「この非常時に何たる息子だ、絵かきになるなんて、とんでもない、世間の人様に申し訳ない……」と、まるで背水の陣が、前後に敷かれた感であった。十五人に一人という確率の、当時の美術学校師範科の入学試験は、高等師範学校なみの難関であったにも拘わらず、合格の通知書を受けても心から祝福してくれる者は誰一人いなかった。三月下旬、通知の手紙が突然家に舞いこんだ日、父と母は一晩中一睡も出来ず、ただ、「困ったことになった。困った奴だ」と嘆き続け、母は泣いていた。
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