雑記

頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。
頻繁にツイ消しするため、忘備録として更新します。内容は重複することがあります。(加筆修正/削除あり)基本的に自分語りしかしません。信憑性などは担保していないので、裏取りは個人に委ねます。
梅原龍三郎「古径の作品には、日本人以外の誰もが持ちあわさない日本画の美しさが、完全に、そして自然に、現代感覚において表れている。名のある人は甚だ多い。しかし古径ほど代表的な力作の多くある人は甚だすくない」
アイデアやコンセプトを作品の中心的構成要素とする:コンセプチュアル・アート

ある状況や出来事を生み出す過程に人々が参与する「関係性の芸術」ともいわれる:リレーショナル・アート

シュポール/シュルファス

https://artscape.jp/dictionary/modern/1198326_1637.html

1960年代末のフランスで起こった芸術運動。南仏を主な舞台とし、C・ヴィアラ、D・ドゥズーズ、V・ビレウスら現地在住のメンバーに、後にパリのL・カーンやM・ド=ヴァドらが合流した。「支持体/表面」という意味に相当する運動名は、70年にパリで初めて開催されたグループ展の名称に由来しているが、以後この名称で展覧会が組織されたのは4回に過ぎず、わずか数年のうちにあえなく終焉を迎える。作品制作を社会的現実のなかに位置付けようとするその試みは、いわゆる68年の「五月革命」からの強いインパクトを孕みつつ、作品自体の性質は「もの派」や「アルテ・ポーヴェラ」といった同時代の他の美術運動との深い関連も想起させる。91年にパリのサント=エチエンヌ美術館で開催され、93年に日本にも巡回した「シュポール/シュルファス」の回顧展は、しばらく忘れ去られていたこの動向にあらためてスポットを当てる好機となった。
[執筆者:暮沢剛巳]
現代美術用語辞典 2.0
ドイツを代表する世界的な画家、ゲルハルト・リヒター。その半生をモデルにした映画『ある画家の数奇な運命』が今秋、東京・有楽町のTOHOシネマズシャンテほか全国で公開される。

 本作原題は『WERK OHNE AUTOR』(英題は『NEVER LOOK AWAY』)。ゲルハルト・リヒターの半⽣をモデルに祖国 ドイツの“歴史の闇”と“芸術の光”に迫るというものだ。

という記事を『美術手帖』で見掛け、公開されたら見に行きたさからメモるも、肝心の秋がきたときには忘れているんだろうな。SNSで得た情報達は、膨大な量を日々流し見しているせいで埋もれていく。たくさんの情報に接したい、手に入れたいという欲は叶えられるが、果たしてそこで得た情報や知識は一体どの程度活用できていることやら。その場の関心や驚きで完結してしまってはいないか

ゲルハルト・リヒター

その代表的なシリーズには、精密に模写した写真のイメージを微妙にぼかす「フォト・ペインティング」や、カラーチップを配列した幾何学的な絵画「カラーチャート」、グレイのみで展開する「グレイ・ペインティング」、鮮烈な色を組み合わせる「アブストラクト・ペインティング」、スナップ写真の上に油彩やエナメルで描く「オーバー・ペインテッド・フォト」などがあり、現在に至るまで多彩な作品を展開。様々なスタイルを同時期に並行させながら、一貫して「絵画の可能性」を追求し続けている。


と『美術手帖』の記事にあったが、出典は割愛
ゲルハルト・リヒター ペインティング
発売日:2020年1月31日
主演:ゲルハルト・リヒター
定価:4800円(税別)
封入特典:ブックレット(12頁)
発売元:株式会社アイ・ヴィー・シー
世田谷美術館
向井潤吉のアトリエ館

弟 向井良吉(彫刻・マネキン)
「いづも屋」の前を東西に貫く本町通りは、旧北国街道で、春日町・呉服町・小町・下紺屋町などと呼ばれたこの場所は開府以来、高田の中心市街地である。南の一丁目から北の七丁目までのほぼ中央、三丁目付近は、城への出入り口で町の政治・自治の中心であった。それは明治以降も同様で、町会所跡地(現雁木通りプラザ)には市役所が置かれていた。しかし木田に新庁舎が完成した翌年の1976年に取り壊され、本町駐車場を経て雁木通りプラザが建築された。高田公園で厚生会館南側にあった明治時期の建造物、偕行社も、前年の1975年に姿を消していた。
旧第四銀行高田支店(1931年建築:本町三丁目、雁木通りプラザ斜向い)高田初の銀行として1879年に設立された第百三十九銀行の本店として建築。戦時金融統制下の営業譲渡で1943年に第四銀行高田支店となっていたが、2009年の支店移転時に上越市に寄付され、現在は上越文化振興課が利用し、内部見学ができる。
1927(昭和2)年に上越地方で最初にデパート式経営をはじめ、1930年に鉄筋コンクリート造りの店舗「いづも屋百貨店」を建築